「わかりません」という言葉の危うさ

飯能市の小学生・中学生向けの学習塾:アサダ塾の浅田です!


「わかりません」と口にする生徒は多い。

それが指導者に対する質問だと思っている生徒も多い。

しかし、「わかりません」は個人が抱く感想であって、質問ではない。

 

多くの生徒の「わかりません」を訳すと、「私はこれ以上考えたくありません。考えることは苦痛です。手っ取り早く答えを教えて下さい。私に快楽を下さい」となる。

例えると、もう目的地まで歩きたくないから「パパ!おんぶ!」という幼稚園児に近い。

口を大きく開けて、エサが運ばれてくるのを待つ雛鳥と変わらない。

つまりは、本来は自力で突破すべき障壁の除去を、他者に委ねる行為である。

 

これの問題点は、大きく2つある。

一つは、自分で障壁を乗り越える力がつかないこと。

そしてもう一つは、楽をすることは快楽を伴うため、癖になっていくことだ。

中毒と言ってもよい。

パパの背中は温かいからね。

この問題点については、また後日に記す。

今回は「わかりません」と口にする生徒の危うさを示す例を一つ。

はるかはるか昔、私が担当していない生徒から、以下の質問をされたことがある。

該当生徒は中学3年生で、二学期の期末テストの時期だったと記憶している。

生徒「先生、この問題がわかりません」

浅田「(……)オッケー!どの問題?」

生徒「この問題です」

浅田「一次関数だね。どこまで出来たの?」

生徒「あ、難しそうだったのでまだ問題を解いていないんです。」

浅田「(……うん?解かずに質問?)そうなんだ。問題文を読んでみてどのあたりから難しく感じた?」

生徒「問題文もまだ読んでません。長くて大変そうだったから、先生に読んでもらおうと思いました」

浅田「(´・ω・`)……。まずは、自分ひとりで問題を読んでみようか。読んだ上で理解できない部分があったら、そこがどこか教えてね」

結局その生徒から、その後の質問はなかった。

進捗を聞いてみると、「やっぱり難しそうなので、担当の先生に読んでもらうことにします」とのことだった。

一連のやり取りに凄まじいまでの恐怖を感じたことを、今でも鮮明に覚えている。

 

私がその気になれば、いくらでも生徒の障壁を取り除ける。

しかし、生徒の入試当日は、隣に座ってあげることが出来ない。

生徒は一人で入試という大きな壁に立ち向かわなければならない。

  

だからこそ私は、指導の際に即座に解答を教えることは少ない。

生徒が「わかりません」と質問してきた際は「何が欲しくて、何を試してみて、何が上手くいかなかったのか、教えてね」と返す。(※生徒の学年や通塾歴によって、表現は異なる。小学生相手にこんな表現は使わない。そもそも、塾歴が長い子は「わかりません」と口にしない)

グラフも書かずに「わかりません」と言ってくる子に、「お!これはな~」とわかりやすく教えてなるものか。

生徒が自分でその壁を乗り越えられるように。

生徒が自分の足で進んでいけるように。

今日も一つ一つ、歩みを進める。

 

 

↓「わかりません」と他者に解答を望む生徒

↓そのままの姿勢で成長すると、

こうなる。

 

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