定期テストの結果と、受験当日に点数が取れるかどうかは別の話

飯能市の小学生・中学生向けの学習塾:アサダ塾の浅田です!


地域柄なのか、飯能・日高地区には定期テストに重心を置かれているご家庭が多い。

間違ってはいない。

定期テストは大事だ。

内申点につながるから。

では、なぜ内申点が重要なのか。

もちろん、受験時に点数として換算されるからだ。

 

でも、内申点だけで受験が決まる訳ではない。

英検だけで受験が決まるわけでもない。(大学入試は英検だけで決まったりするけどね)

一番比重が重いのは、試験当日の点数である。

そこから目をそらしてはいけない。

決して目をそらしてはいけない。

ここで重要なのは、「定期テストで点数が取れる≠入試当時の点数が取れる」である点だ。

学校の定期テストで学年順位が上位5%に入っていても、全県模試を受けてみれば上位20%程度だった…なんて話は珍しくない。

その一方、定期テストでギリギリ一桁に入るくらいの飄々とした子が、かるーく偏差値70を取ってくるというのも、よくある光景である。

 

テストには、入学試験やクラブ活動の選抜メンバー決めのような定員を選抜するテストがある一方、小テストや定期テストのような到達度や習熟度を測定するテストが存在する。

この2種類を同一視することは危険である。

洗練された習熟度テストであれば、点数を参考にする価値がある。

しかし、学校の定期テストはお世辞にも洗練されたテストとは言い難い。

 

これは学校の先生の質の話ではない。

九九すら言えない中学生と、高校数学も軽々解く中学生が、同じテストを受けるのだ。

そのような生徒達が混合された集団において、公立中学校の先生は「平均点は◯◯点くらいでテストを作ってね。」との指示を受ける。

平均点90点のテストも、平均点20点のテストも作ることが出来ない。

つまり、勉強と人生を軽視している生徒にも、ある程度の点数を取らせる必要が出てくる。

そのため学校の先生は、作業で解ける問題を増やしたり「ここはテストに出るぞ~」と事前に告知したりという苦肉の策を取る。

そうして出来たテストは、要領の良い子なら理解を伴わずとも点数が取れてしまう。

 

子供は問題の質まで気にしない。

どのようなテストであっても、高得点が取れれば嬉しい。

過去見た生徒で「私は昨日幸せでした」という文の英訳を、「I was happied yesterday.」と書いた生徒がいた。

この生徒は、中間テストと期末テスト合わせて間違えた問題はこれだけで、英語の合計点は198点だった。

点数だけ見れば、悪くないだろう。

しかし、この解答から補語と動詞の区別がついておらず、雰囲気で英語を解いていることがわかる。

happyのyをiに変えてedを付けているあたりが、機械的な学習をしていることを体現してくれている。

英語の教科書を丸暗記すれば、この程度の点数は取れてしまう。

点数だけに注目し、これで英語が出来ていると思っていると痛い目に合う。

入試で点数が取れない。

理解していないから。

それ以上に問題になるのは、高校進学後だ。

大学受験は、雰囲気で英語を解いている人間を容赦なくふるい落とす。

恐ろしいことである。

 

本来、習熟度を計るテストは、こういった間違いを見つけて修正するために存在する。

しかし、現在の定期テストは「内申点を取るための手段」としての側面が大きくなりすぎて、習熟度確認という側面が極端に小さくなっている。

定期テストを「内申点を取るための手段」としてしか捉えられなくなると、理解を伴わない丸暗記や、その場しのぎのテクニックに価値を見出すようになる。

理解をしていないので、模擬テストや入試では点数が取れない。

保護者様は、「学校のテストでは点数が取れているのに、どうして?」と思う。

生徒は、自分が理解していないことを理解しているから、その期待と現実のギャップに苦しくなる。

しかし、他に勉強方法を知らないため、丸暗記の学習は止まらない。

止まらないどころか、理解して一歩ずつ進むという勉強から日に日に遠ざかっていく。

アサダ塾のブログで時々出てくる、地雷理論だ。

 

保護者様においては、お子様がどのようなテストでどのように点を取っているのかを、よく見た方が良い。

定期テスト至上主義は毒にもなり得る。

同じ80点でも、点数の取り方・生徒の頭の使い方は大きく異なる。

点数だけで一喜一憂してはならない。

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