色づく世界

飯能市の小学生・中学生向けの学習塾:アサダ塾の浅田です!


今日は生徒の話。

 

先日、お電話である保護者様とお電話していた際に、非常に嬉しいお言葉を頂いた。

「アサダ塾に転塾してから、子供が帰りの車の中で、『数学が楽しい…!英語が楽しい…!』ってよく言うようになったんです!」と。

私は「そうだと思います。そうなるように指導しました」とお返事する。

 

この生徒は以前の記事で紹介した、連立方程式の計算方法が怪しかった生徒である。

計算方法は怪しかったものの、転塾前から学校の定期テストでは毎回一桁順位を取る実力者だった。

しかし、勉強は「やらなきゃいけないからやるもの」で、楽しいものではなかったそうだ。

 

それは、普段の勉強の姿勢から見て取れた。

定期テスト前になると、点を取るためにギアが入るのだが、テストが無い期間の学習はフワフワしており、「あぁ、勉強楽しくないんだろうなぁ、仕方がなくやってるんだろうなぁ」と感じながらの指導だったことはよく覚えている。(連立方程式のプラス記号を塗りつぶす計算が、楽しいわけがないわな)

 

私はそういった生徒に対して、忖度をしない。

極端に長く雑談をしたり、代入するだけの学習による、意味のない正解を繰り返して生徒の満足度を上げたりしない。

ひたすら、「この子にとって、何が一番+になるだろうか」と毎日考え、必要なものをお出しする。

該当の生徒においても、「これはなんでかっていうとね」だとか「シュゴドウシノモクテキゴゼンチシノモクテキゴホゴ」だとか、「じゃあ、この問題を私に解説してみて」だとか、理屈を説いたり、理屈を説くために必要になる暗記をしてもらったりと、目先の満足度に囚われない指導を行った。

こういった指導を続けていくと、徐々に学習に対する姿勢が変わってくる。

 

この生徒も例に漏れず、はじめは「この問題がわかりません」としか口にしない子だった。

いつもの如く、私は安易に答えだけを教えない。

とはいえ、生徒の「わかりません」に対して「そうなんだ」「それって貴方の感想ですよね」と返すのは、流石に大人気ない。

私は「どこまで出来て、何を考えて、何を試してみて、何が上手くいかなかったのかを教えてね」と、生徒を席に戻す。

何度も何度も、私との対話を繰り返す。

生徒は大口を開けていても答えが降ってこないのだから、自分の頭で考えるしかなくなる。

否が応でも、論理を組み立てる必要が出てくる。

すると、段々と出題者との対話が出来るようになる。

勉強の主体が、自分自身になってくる。

結果、今まで暗記・パターン学習で乗り切っていた灰色の問題達に、鮮やかな色が浮かび上がる。

心が踊る。

勉強が楽しくなる。

授業を受けているだけでは、なかなか得られない変化だ。

 

この生徒は現在、「この三角形を等積変形で動かせば、交点の座標が出ると思ったんですけど、上手くいきませんでした」だとか、「Aの問題はこういう風に考えて、上手くいきました。Bも同じように考えたら、上手くいかなかったんですけど、Aで上手くいったのは偶然ですか?」といった、自分を主体にした質問が出来るようになっている。

学年順位が一桁の生徒であっても、勉強が好きではない子供は多い。

この生徒もそうだった。

そんな生徒が、勉強を楽しく感じるようになったら、どうなってしまうんだろうか。

 

この生徒は、1月までは週に3回程度の通塾だった。

しかし、2月からはご両親や私から強制される訳でもなく、自分から毎日の通塾を申し出て来た。

学校選択問題採用の高校で学年1位を取る兄弟(この子もアサダ塾の塾生である)の背中を見て「正直、毎日勉強する意味がわからない」「あんなに勉強する意味がわからない」と口にしていたあの子が!

 

毎日通塾の理由は聞いていない。

だから、もしかしたら積極的な理由ではなく「期末テストが近いから」とか、「そろそろ3年生だから」とか、「周りの子が勉強し始めたから」とか、そういった理由なのかもしれない。

 

でも、今、毎日頑張る君の姿に、マイナスのモチベーションはあまり見えないんだ。

表情こそ変わらないけど、以前よりも楽しそうに問題と向き合っているように見えるんだ。

それは、きっと、私の気のせいじゃあないはずなんだ。

君の毎日の振り返りにも、言葉としてそれは現れているよ。

君にはどんな世界が見えているのだろう。

明日も会えることを嬉しく思うよ。

毎日君達の頑張りを眼の前で見られるなんて、私はどれだけ恵まれているんだろうね。

また明日!

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