塾とは人である②

この記事の続きです。

私の辞退のセリフに対して、校長からの答えは「もうちょっとだけ続けてみない?」だった。

当時の私がへなちょこ糞餓鬼大学生であることなど、校長は見抜いておられたと思うので、意外な返答だった。

「いいよ~さよなら~」くらいの返答が来ると思っていた。

校長は「理由によっては、『お互い、合わなかったね』で終わりなんだけどね。誰だって最初は上手くいかないよ。浅田ちゃんは、もうちょっとやってみても良いんじゃない。やりたくない訳じゃないんでしょ」と、おっしゃった。(正直、細かい内容までは覚えていないのだが、概ねこういった内容だったと思う。)

しかし、こう言われても「よーし頑張るぞ!」とは思えなかった。

 

それでも、なんとか研修を続けた。

教科の説明・解説の仕方、声の出し方、抑揚の付け方、間合いの作り方、体の位置、チョークの使い方、笑顔の魅せ方、机間巡視の仕方、生徒一人一人の見方等を何度も何度も。

校長から「形にはなってるから、後は実践だね!自信もってやりな!」と実践投入の宣告を受け、クラスを担当させて頂くことになった。

任せて貰う以上、適当な仕事は出来ない。

毎週、板書案を作り校長に見て頂く。

どの問題をどのように説明し、どのくらいの演習時間を取るのか相談する。

どの文字を何色のチョークでかき、どこで改行するのかを考える。

どの生徒がどのようにノートを取るのか想定する。

どのような発問に対して、どの生徒がどんな反応をするのかも考える。

私が教える単元は、小学校の内容のどの延長にあるのか、1つ下の学年では、どんな下地が作られているのか、一つ上の学年では、どう使うのかを考える。

前の単元と、その後の単元とは、どのような関わりがあるのか。

入試にはどのように出題される?

高校に入った後はどうなる?

考えること、やらなくてはならないことは、無限にあった。

初めは週に2コマだけの授業だったが、毎回20時間くらいは予習に充てていたのではないかと思う。

 

空き教室では何度も繰り返した模擬授業だが、実際に生徒を相手にすると難しい。

初めの頃は「この先生の授業、わからなくない?」と授業中に生徒同士が話しているのが耳に入ってくるし、いつ撮られたのかもわからない顔写真付きで、Twitterに「新しい塾の先生キモすぎワロタwwwwwww」といった投稿もされていた。

授業を任せて下さっている校長にも、私にコマを譲って下さった先輩アルバイト講師にも、何よりも生徒達に申しわけなかったし、何も出来ない自分が悔しくてしかたがなかった。

 

クソ雑魚ナメクジだった当時の私は、ここでまた折れる訳である。

続く。

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