先日、早高院の国語の過去問を解いている生徒が、「ハレの日・ケの日」という単語の意味を取り込めていなかったため、長文の読解に苦戦していた。
私は「おや?」と思った。
と、言うのも「ハレの日」「ケの日」というワードは、いつかのブログタイトルに使ったことがあったからだ。
その生徒は、私がブログを書くと、すぐに読んで感想をくれる。
該当の記事を読んでいないことは、ありえない。
その生徒が、ブログを読んだ際に単語をスルーしてしまったことが見て取れた訳だ。
知らない言葉があることは、全く問題無いのだが、それをそのままにしてしまうのは問題だ。
とはいえ、ブログに出てきた単語を全部調べないといけないのか、覚えなきゃいけないのか…と考えてしまうと、途端に窮屈になってしまう。
感覚としては、自然と、「浅田がまた、よくわからん(言うほど、わからんか?結婚式とか、卒業式でも使わない?)単語使ってやがる。調べてみっか」くらいの軽い気持ちでいてくれるのが、望ましい。
もちろん、私のブログに限った話ではなく、いつでもどこでも、知らない言葉に出会ったら「なんじゃこりゃ。知らねーwwwww。調べてみっかww。うはwww。調べたったwwww俺また賢くなったwwwww天才wwwww」と、気軽に語彙を増やして欲しいと思う。
言葉は世界の解像度を高めてくれる。
黒だか白だかが200色あるのかどうかは、私は知らないが、一様に「白一色」とする人と、それを200段階のグラデーションで捉えられる人が見る世界は、大きく異なるだろう。
犬と猫をいう言葉を知らなければ、どちらも「4足歩行の何か」としてしかカテゴライズ出来ず、そこに両者の区別は生まれない。
「チワワ」「レトリバー」という言葉を知らなければ、「小さい犬」「大きい犬」としてしか捉えられない。
冗談ではなく、概念や言葉を知れば知るほど、世界は鮮やかになっていく。
「昨日ハレの日、ケの明日」というブログタイトルは、東方風神録というシューティングゲームの「明日ハレの日、ケの昨日」という曲からお借りした。
東方シリーズで、私が一番好きな曲だ。
音楽の知識が一切無い私だが、ボーカルの無い音楽で、ここまで「ハレ」と「ケ」の間(はざま)を表現できるものなのかと、この曲を聞くたびに感動してしまう。
決して日常ではないのだけれど、本番でもない1日。昨日は日常。明日は本番。そこは神社の境内。明日の祭りに向け、ステージや出店の設営をする者達の喧騒が聞こえてくる。どこからか耳に届く祭り囃子は、決して秩序だったそれではなく、それぞれが思い思いに、明日に向けて行う最終調整だ。真剣な表情で和楽器を奏でる子供と、それを見守る大人たち。早くも泡の出る麦茶で乾杯し、真っ赤になっているお父さんと、それに呆れるお母さん。ちびっこ達は走り回り、危ないぞと小言を言われる。日が沈むにつれて湧いてくる、明日が本番だという実感。それと共に訪れる、この時間が永遠ではないという寂寥。今日はハレとケの間(はざま)の日。神様は、きっとそれを笑いながら眺めてる。
そんな曲。
「ハレの日」「ケの日」って言葉を知っていたら、それが見えてこない?
…こないか。
ごめん。