世の中の中高生達が、今日もどこかで「勉強を頑張ります」と口にしていたことであろう。
では、この「勉強を頑張る」とは具体的に何を指すのだろうか。
そもそも「勉強を頑張る」こと事態がズレているのではないか…という話はおいておこう。
「勉強を頑張る」ことを、大抵の生徒達は、机に座る時間を増やすことだと思っている。
難しい問題に取り組むことだと思っている生徒もいる。
こういった認識であれば、まだマシな方だ。
生徒の中には、冗談でもなんでもなく、教科書を一字一句ノートに丸写ししたり、自分では手も足も出ない問題に何十分何時間もかけて、その後に答えを赤で写して満足する生徒もいる。
こういった学習を繰り返していても、残念ながら成績は上がらない。
これらを頑張るとは言わない。
それどころか、正しい努力をしている子達との差は開いていくばかりである。
かけた時間ばかりに価値を感じ、その成果から目を逸らすのは危険なのだ。
「頑張る」にも色々な種類がある。
これまで解けていた問題を、もっと短い時間で解いてみるのか。
自分の書いている、途中式一つ一つを見直してみるのか。
目標を決めて、そこまでにやるべきことを洗い出し、それを淡々とこなすのか。
今まで答えを赤で写していただけの問題に、正面から向き合ってみるのか。(これをやる生徒が、学力帯に関係なく異常に多くて驚いている。学校の指導の影響なのか?家庭の指導の影響なのか?なぜ赤で解説を書くのかを説明出来る生徒が少なすぎる…。どの生徒も「間違えたからです」とだけ。(´・ω・`)(´・ω・`)。そして、二度と見直されることの無いノートや問題集…。そんなー…(´・ω・`))
抽象的な「勉強を頑張る」で終わらせずに、具体的に何をどう頑張るのかを言語化してみることが、成長の第一歩。
「頑張る」「努力する」とは、自分に足りないものと向き合い、それを細分化して自分でも太刀打ちできる難易度まで落とし込み、その壁に向かって一歩一歩進み続けることを言うのだ。
アサダ塾で、成績がすごい勢いで上がる生徒は素直にこの一歩一歩を繰り出せる子達だ。
私は同じ問題を何度も何度も解かせる。
本当に、何度も何度も解かせる。
これに「こんなに沢山やる意味がわかりません」という生徒と、「わかりました。やってみます」と取り組む生徒とでは、成績の伸びが違ってくる。
今日も、平方根の処理(分母の有利化や√内の2乗の括りだし)をひたすら繰り返した生徒がいる。
12問を解くのに、最初は14分以上かかっていたが、最終的には1分以内にまで縮めた。
こういうのは、努力の一つの形。
こういった課題を蔑ろ(ないがしろ)にせず、丁寧に取り組む生徒は成績が伸びるのだ。
正しく頑張っていきましょう!
最終的には、頑張らずにいきましょう!
勉強を頑張ってしまっている人は、楽しんでやっている人には及ばない可能性が高いので…。