飯能市の小学生・中学生向けの学習塾:アサダ塾の浅田です!
今日は昔話をしようと思う。
学生の頃、私は集団塾でアルバイトをしていた。
多くの学生バイトは、自分の出身塾でアルバイトをすることが多いと聞くが、私は自分の出身塾とは違う塾に応募をした。
中学生の時、体験することもなく親に無理やり入れさせられた塾が、あまり好きではなかったからだ。(今思えば、塾に入れてくれるだなんて随分と有り難い話なのだが、当時はそれに気がつけなかった)
私が応募した塾は埼玉県の内外を中心に数十教室を展開する、比較的大きな塾だった。
当時学生だった私は世の中を舐め腐っていて、塾講師を志した理由も「比較的、勉強は出来た」「教えることが好き」「冷暖房が聞いた部屋で、自分の知っている知識を伝えるだけで給料もらえるなんて楽そう」くらいの感覚だった。
メールで担当者宛に、アルバイト希望である旨の連絡を入れた。
すぐに、面接日が決まる。
大学の入学式以来、2回目となるネクタイを結ぶ。
その塾の教室の校長と面談し、試験を受ける。
採用される。
研修に入る。(最近は研修が無い塾もあると聞く…まじか)
研修の初めは、授業見学からだった。
その授業見学で、私の蜂蜜に砂糖を溶かしたような甘い考えは打ち砕かれることになる。
校長は当然のこと、アルバイトの先生全員の教務力・生徒対応力・本気度が、桁違いに高いのだ。
私が通っていた塾の講師とは違った。
こんなにも一生懸命な塾がこの世にあるのか…と、面食らってしまった。
正直、私にはその先生達と同じように出来る気がしなかった。
次元が、レベルが違いすぎる。
当然、生徒達の様子も素晴らしかった。
生徒達の学力層は幅広く、学年トップから最下位近くまでが混在していたが、皆真剣だった。
授業中、笑うときには笑うが、ダラダラした空気はなく、問題演習になるとピリッとした空気が教室を包む。
自習室からは人が溢れ、廊下で勉強している生徒が何人もいる。
そのことに不満をいう生徒なんて一人もいない。
誰もしゃべったりせず、真剣に、黙々と取り組んでいる。
先生方も、生徒達も格好良かった。
保護者様からすれば、自習室でしゃべらないなんてことは当たり前かもしれないが、私が中学生の時に通っていた塾はそうではなかった。
講師がいる時間は静か。いなくなったら皆喋る。学校の自習時間と何も変わらない。
それがスタンダードだと思っていた私にとって、カルチャーショックは大きかった。
カルチャーショックは、日に日に大きくなる。
何度か研修を行った後、情けないことに私の心はポッキリと折れてしまった。
安易な気持ちでやっていい職業ではないことを思い知った。
決して、決して「教えることが好きだから」程度の軽い気持ちで出来る職業ではない。
勉強が出来たり、テストで点数が取れるからといって、人に教えられるかは別の話だった。
私の言葉や指導次第で、子供達の人生が変わる。
その重さを認識していなかった。
そんなことにすら、気づけていなかった。
心が折れた私は、校長に「すみません。塾講師という職業を舐めていました。私には皆さんのように出来る気がしません。採用や研修にお金をかけて頂いたにも関わらず、身勝手なお願いで申し訳ないのですが、辞めさせて頂けないでしょうか」と申し出た。
本心からだった。
自分が、この先生方と同じように壇上に立つだなんておこがましい。
私が前に立つのであれば、この先生たちがやれば良い。
走ることを諦めたメロスもこのような感覚だったのだろうか。
いや、私にはセリヌンティウスはいない。
きっと、走ってすらいなかった。
その後、結局は大学卒業までその塾でご指導を頂くことになるのだが、続きは明日以降にしようと思う。
続く。