R.8年 早稲田実業進学 A君の話

 卒業生達が確かにここにいた証を記そうと思ったとき、何人かが候補に浮かんだ。誰もが書けば長くなるエピソードを持っている。その一人目を誰にしたものかと逡巡したが、よく考えてみれば、その順番に意味などない。全員が尊い合格を手にしてくれた。だが、まぁ、ここは、圧倒的な実績を出したA君に先陣を切ってもらおうと思う。と言っても、彼がどうこうするのではなく、私が彼のことを記すだけなのだが。

 A君がアサダ塾に入塾したのは、2年生の3月。受験まで1年を切った状況での入塾だった。お母様がわざわざ隣町から当塾を見つけて下さり、まずは体験から…と、話は進んだ。体験でのやり取りの中で印象に残っているものがある。私はA君に「普段、どのくらい勉強時間取ってる?」と質問した。A君は「テスト前はそこそこやっているんですが、普段はあんまり…」と答えた。

 そこにすかさず、同時に体験を受けていた妹から「先生。騙されないで下さい。そいつ、テスト前も全然勉強してないです」と、痛烈なカットインが入った。A君は「ちょっ!おい!言うなって……。いやー…。まぁ、やってないかもしれないっす…」とバツが悪そうに苦笑いをしていた。他塾の先生は、こういう時にどういう反応をするのだろうか。本来、「もっとやらんとだめだぞ!」といった小言を伝えるべきなのかもしれないが、あまりにも自然な兄妹のそれに、「そっかそっか。ここからだね」と思わず笑みがこぼれてしまった。

 そんなやり取りの体験の後、A君は他の塾の体験予定をキャンセルしてまで、入塾を早めて下さった。当塾の英語の指導に感銘を受けて下さったようだった。「今まで『なんとなく』の理解に留まっていた英語が、手に取るようにわかり、感動した。他の塾の体験を受けている間、この塾の指導を受ける時間が減ってしまうことがもったいない…」と。ありがたい話である。志望校は所沢北。彼の受験が始まった。

 A君の学校の成績は申し分なかった。定期テスト学年1位の看板は伊達ではない。その一方、学校の成績と比較したとき、模試の成績はもう一声欲しいところだった。特に英語が目立った。決まった時間・決まった科目の縛りが無いアサダ塾である。入塾当初は、英語の指導に特に力を入れることにした。

 学校の定期テストにおける英語は、ワークを繰り返し、本文を覚えていれば正直なんとかなってしまう。埼玉の学校選択問題の英語であっても、平均点ちょっとであれば、文法をしっかりと理解しなくても、リスニングと単語の丸暗記による本文の内容一致問題で点数を稼ぎ、合格してしまう。しかし、そういった英語を身に着けた中学生は、高校入学後にすぐに淘汰されてしまう。A君含め、塾生をそんな高校生にする訳にはいかない。大手塾では決して触れないようなところから、丁寧に丁寧に最初から英語の指導を行った。

 すると、2年の3月には北辰テストで60だった英語の偏差値が、3年の4月には70を超えた。本人ももちろんだが、お母様が「こんなに偏差値が上がることってあるんですか…?」と、目を丸くされていたことをよく覚えている。

 では、ここから偏差値を上げ続けるのかと言うと、そうはいかなかった。学校外の活動にも精力的な彼の通塾ペースは、おおよそ週に3回。現状維持は出来ても、劇的に成績を上げるためのそれではなかった。本人も、「なんとなく所沢北。いけるところに行けばいい」くらいの感覚でおり、「絶対に入りたい志望校」というものは存在しなかった。1学期の保護者面談では、そういった姿勢のA君に対して、お母様と一緒に「どうしましょうか…」と頭を悩ませた。

 そんな状態で夏に突入した。部活動引退後は「勉強に本腰を入れる」と約束をしていた。その約束に違わず、夏休みは多くはないが、少なくもない学習時間を確保してくれた。(浅田基準の多くもなく少なくもないである。30日、一日12時間という学習時間は他塾から見たらそこそこ多い)A君は、週3回の遅れを取り戻すかのように、多くのことを吸収していった。それは私の想定よりも早く丁寧なものであったため、彼に与える教材やペースは都度修正が必要になった。

 順調に学習がすすむ一方、A君のモチベーションは高くなかった。彼の性格を考えると、県立であれば浦和高校が一番良い高校生活を送れると思案していたが、彼からは「◯◯私立高校の、一番下の特待生(入学金だけ免除)にして、指定校で大学行こうかなって」と告げられる。その理由は、「高校でも部活動を全力でやりたい。部活動をやりながら、難関大学に行くことが現実的でないことはわかっている。行けるならレベル高いところが良いけれど、それも難しいだろうから、指定校取れたところでよい。県立だって、入れるかわからないし」と、いうものだった。

 こうして書くと、彼がネガティブよりの思考を持っているように思えるかもしれないが、そんなことはない。根性があり、何事にも強い興味関心を持ち、快活な青年である。まともな塾の先生が彼と対話すれば、皆が「浦和高校向いてるよ」と告げると思う。だからこそ、進路は本当に頭を悩ませた。

 彼の人生なので、それはそれなのだが、もう少しだけ自分の可能性の大きさに目を向けて欲しかった。卒業生も、現塾生も、まだお会いしたことのない、これを読んでいる中学生も、皆そうなのだが、本人たちが思っている以上に、君たちの中に秘められた可能性の種は大きい。受験に落ちることは失敗なのだろうか。失敗とは、落ちることを恐れて、努力することからも逃げてしまうことではないのだろうか。レベルが高い高校は、自分には無縁の世界だからと、安易な選択に身を委ねてしまうことではないだろうか(彼の選択が安易だと言うつもりはない。世間一般の論としてね。)

 さて、全ての可能性を考慮した上で、A君がその進路を選択するのであれば良かったのだが、彼にはまだ選択肢にも入れていない進路があった。夏休みが終わり、9月の上旬、彼に早慶付属の選択肢があることを伝えた。「付属校のメリットとデメリットを考慮した時、A君であればメリットが大きいこと。異次元の難易度であること。しかし、A君であれば可能性は0じゃないこと」などなど…。親御さんにも、A君に対してそういった可能性を考えていることを伝え、ご家族で話し合って頂いた。数日後、A君からYesが返ってきた。予想通りの返事だった。

 まずは、駿台模試を受けてもらった。国内最上位の私立・国立を受験する子達が母集団の模試である。北辰テストのような全県模試で、偏差値70に届きました…!くらいの生徒では、偏差値50はおろか、偏差値40にすら届かないことだってある模試だ。受験後、彼からは「何にもわからないんですけど…。わかるところがない。何もかも、わからないです。人間が解くテストなんですか、これ…。早慶とか、論外なんじゃ…」との感想を頂いた。(重ねて補足するが、彼は北辰テストでは偏差値70は取っている)壁は高い。高いが、乗り越えられない高さではないのだ。A君にはその壁がどこまで続くかわからず、天にまで届くものに見えていたことだろう。しかし、上限はある。私にはうっすらとではあるが、それが見えていた。A君に「大丈夫」と伝えた。

 口では不安を口にするものの、A君の勉強が崩れるようなことはなかった。16:30の開塾と共に塾に来て、22時まで学習していく、怒涛の通塾が始まることになる。日曜も、祝日も、クリスマスも、正月も、入試前日も、最後まで彼はずーーーーっと塾で勉強し続けた。夏のように、休むことはない。本当に休まず、毎日塾に来続けた。1学期、週に3回しか来ていなかった彼からすると、別人のようだった。始めは英単語しかやらせなかった。県立受験レベルの単語は問題なかったが、付属校は英検準2級・2級クラスの単語を注釈無しに平気で出してくる。国語も数学も最低限だけで、ひたすら英単語に明け暮れる日々。カリキュラムを柔軟に作れる塾故に、これが可能だった。単語が安定してからは、高校範囲の英文法や熟語表現もひたすら繰り返した。「終わる気がしないんですけど…」と、彼からLINEが飛んでくることもあったが、やり遂げるのがA君である。9月は41.3だった英語の駿台模試の偏差値を、10月には55.0まで上げてきた。

 とはいえ、模試は所詮模試である。模試で点数が取れたからといって、本番で点数が取れるかは別の話となる。その逆も然りで、模試で点数が取れていなくても、本番で点数が取れることもある。生徒や保護者様からすれば、模試の点数と偏差値は安堵と不安の対象になることもあるかもしれないが、大切なのは生徒一人一人がどの問題に対してどのようなアプローチをしていて、本番はその生徒のペンがどう動くかである。同じ◯でも、解答に至るプロセスは生徒毎に異なる。✕も同様だ。教科毎の点数を見て、「社会が苦手だから、社会の勉強時間を増やしましょう!」なんて、アドバイスにもなっていないアドバイスは、猿でも出来る。そこを正しく見て、生徒に適切な課題を与えられるかどうかという点に、指導者としての腕前が如実に現れる。

 閑話休題。実際、A君は模試の偏差値こそ上がったものの、その時点で早慶はおろか、MARCH付属の過去問に太刀打ちする実力だって身についていない。(それが普通。「模試の偏差値が高い=その時点で合格する力がある」じゃ、ないんだってば…)年度にもよるが、直近の早稲田実業や早稲田本庄の過去問の点数は英語・数学共に、20点代だった。得意の数学で20点程度という事実には、ひどく打ちのめされていた。それでも彼のペンが止まることはなかった。

 冬休みに差し掛かっても、合格点に届いたことは一度もなかった。勉強に明け暮れる日々は続く。朝9時の開塾と同時に塾に来て、夕飯時だけ帰宅し、また22時まで学習する。帰宅後も音読などの追加課題を行う。他所の塾が正月特訓だなんだとラベルを貼って、10時間の勉強をやっとこなす中、アサダ塾の生徒達は正月もお盆もなく、10時間でも12時間でも学習を行う。毎日が合宿・特訓以上の勉強である。実力が追いついてくる。

 冬期講習が終わり、1月の後半にも差し掛かった頃、過去問における英語の点数が60点に届きはじめる。試験2週間前の話である。まだ、合格点には届かないが、可能性のある点数である。明大八王子の合格と星野の特待生合格をお守りに、より一層勉強に打ち込んだ。

 早慶受験の前哨戦とも呼べる立教新座。決して楽な受験ではない。早慶に合格する生徒でも、平気で落ちるのが立教だ。元加治駅から受験に向かう彼の表情は悪いものではなかった。受験後に彼が持ち帰ってきた問題を見たところ、数学はかなり解きやすい。早慶受験者であれば100点で当たり前の難易度だった。しかし、数学において、ケアレスミスとはまた違う、とんでもないやらかしをしていた。得意の数学で他の受験生と差をつけたいA君にとって、致命的なミスだった。

 A君は練習の段階から、ケアレスミスの類は多かった。口を酸っぱくして見直しの重要性とそのやり方を説き続けたし、普段から徹底させていた。それでも試験は1回。受験校を増やせば試験の回数は増えるとは言え、その学校の試験は1回だ。何百時間・何千時間と勉強しても、当日の体調が悪くても、100回に99回成功する実力を持っていても、1回限りの試験で失敗すれば、それで終わりである。そのたった1回、わずか数時間の試験本番のために、半年、一年、大学受験であれば5年以上を注ぎ込む。生徒の時間だけではない。親御さんのお金や時間も使われている。

 受験が始まってからは、あっと言う間の1週間だった。本番で大きく崩れることなく、試験が終わった。すぐに第一志望の合格発表の日が訪れた。A君はこれまで、合格の場合は発表と同時に報告してくれていたが、ご縁をいただけなかった高校の場合は、塾に来た際に結果を教えてくれていた。その日、発表時間になってもA君からの連絡はなかった。3時間が過ぎ、あれこれ振り返っている中「受かってました」とLINEの通知が届いた。何のことはない。単純にその日は学校があり、彼は帰宅するまで結果を見ていないだけだった。彼から送られてきたスクリーンショットを見て飛び跳ね、A君に電話番号を聞き、「おめでとう」と直接伝えるのに時間はかからなかった。おめでとう。

 その後、早稲田大学高等学院にもご縁を頂いたが、A君は迷うこと無く第一志望である早稲田実業への進学を決めた。大学付属校に進学することが決まったにも関わらず、3月は中3で一番塾に来た。楽しそうに問題を解いていたのは、きっと私の気の所為ではないだろう。あれだけ勉強を嫌がっていた彼がねぇ…。格好いいじゃん。格好いいよ。本当、君は格好いいよ。お疲れ様。

 3年後の君が何を選択するかは自由とは言え、君から頂いたお手紙は私があと7年は頑張らなければならない大きな理由になった。時々、顔を出して下さい。そのときは、作問した数学の問題と、とびっきり長い近況報告を聞かせて下さい。

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